
ホルスタイン種
オランダ北部からドイツ西北部に飼養されていた最も古い品種。
品種として成立したのがオランダのフリースランドであることから、正式にはホルスタイン・フリーシア種と呼ばれているが、日本では省略してホルスタイン種と呼ばれる。
毛色は黒と白の斑紋であるが、体格と肉質の向上を図る目的でショートホーン種を交配した影響が残る赤白斑も稀に現れる。
体格や体型上の特徴は各国でさまざまで、ヨーロッパ地方で飼われている牛は大体中型で乳肉兼用種としての特徴を示しているが、北アリメカ大陸に入り、米国やカナダで乳専用種として改良されたものは、大型で乳用種の特徴であるくさび型の体型をしている。
日本で飼われているホルスタインもこの系列に入る。
泌乳能力に特徴があり、乳量が多く乳脂肪率が低いことである。
最近重要視されている搾乳性の点でも搾乳速度が速く、乳用種として優れた品種である。
ジャージ種
イギリス海峡諸島中最大の島ジャージ島原産の乳用種。
フランスのブルターニャ地方のブルトン種やノルマン種を基礎に改良された品種で、過去600年くらい純粋に保たれているため斉一性が高いとされている。
また、気候の変化に強く、耐暑性も比較的強いため、熱帯地方の乳用牛の改良に多く利用されている。毛色は、白に近い淡褐色から黒に近い黒褐色までさまざまで、近年では白斑及び黒斑の単色がみられる。
体格は小型で、乳量は一般的な乳牛と比べるとそれほど多くないが、乳質に特徴があり、乳脂肪率が他の品種よりも高いため黄色味が強く、風味がよい乳質が美点である。
黒毛和種
日本の肉専用種としては最も多く各地で飼育されている品種である。
毛色は褐色がかった黒色であり、肉質、ことに脂肪交雑は世界最高で、貴重な遺伝資源として外国からも注目されている。
明治時代に在来の和牛と多くの外国種が交配されてできた雑種を日本の農耕と肉利用に適した牛に整理・改良した役肉兼用種であった。
交配された外国種はブラウンスイス種、デボン種、エアシャー種、シンメンタール種等である。
農耕に使うことを考えて概して小格にしてきたため体重の増加が遅いと言われてきたが、昭和37年から肉専用種として改良を続けた結果、現在は外国種に勝るとも劣らない増体能力を持っている。
褐毛和種
熊本県を中心に飼われている熊本系と高知県を中心に飼われている高知系があり、これらは生い立ちが多少違う。
熊本系は古くから阿蘇周辺で飼育されていた牛で、朝鮮牛が土着化した阿蘇牛、矢部牛、球磨牛等にシンメンタール種を交配した雑種を改良したものであるが、高知系は明治時代に輸入された朝鮮牛とシンメンタール種の雑種を改良したものである。
熊本系は毛色がやや淡い褐色であり、阿蘇周辺に放牧されて景観保持にも役立っている。高知系は鼻と口、目のまわりの部分、四肢の先端、及び尾の色が濃い黒褐色である。
いずれも肉質は黒毛和種に次いで良い。
無角和種
山口県萩市を中心に飼育されている。
毛色は真黒で、角がない。
肉質は黒毛和種に次いで良い。
大正時代に黒毛和種とアバディーンアンガス種を交配し無角防長種ができたが、これをさらに昭和初期にアンガス種で改良した牛である。
早熟早肥で昭和42年に行われた第一回全国和牛産肉能力共進会では理想的な肉用種の体系に近く、増体も良いことから、今後の肉専用種としての評価が高まったが、現在では頭数が減少している。
日本短角種
岩手、青森、秋田、北海道を中心に飼育されている。
肢蹄が丈夫な南部牛とショートホーン種を交配して作られ昭和32年から統一された登録が開始された。
毛色は褐色である。
肉質的にはやや劣るが放牧に適し、夏は放牧し冬は里に下す夏山冬里方式で飼育されてきた。
受胎させるためにまき牛(自然交配)方式が行われ、労力をかけない方法で子牛生産が行われてきた。
タバコ、園芸さらには漁業などとの複合経営では手間のかからない牛であり早熟早肥で哺育能力が優れているが、現在は頭数が減少してきており、既存の放牧地の活用や景観保持も含めて憂慮されている。
牛肉の歴史
牛の起源は弥生時代の中頃に、朝鮮半島経由で入ってきたという説が定説になっています。
遺伝的に見ると、日本のウシは、中国やヨーロッパのウシと近いことが分かります。
当時は、交通が今ほど発達していないので、それぞれの地域に様々な特徴を持ったウシがいたと考えられます。
鎌倉時代に描かれた国牛十図のウシは、実に様々な毛色をしています。
また、岩手県(旧南部藩)にいた南部牛は、朝鮮半島からではなく、北方から連れてこられたという説もあり、興味が持たれます。
食用牛のはじまり
牛肉を食用としたのは、牛が持ち込まれた縄文〜弥生時代とされています。
しかし、「肉食禁止令」が発令された飛鳥時代以降、牛肉をはじめとする肉食が禁じられるようになりました。
それからしばらくの間、牛は農耕や運搬にのみ使われるようになったそうです。
戦国〜江戸時代になると、外国人の影響を受けるとともに健康回復や病人の養生、いわゆる「薬喰い(くすりぐい)」として肉食が始まりました。
大正時代では日常的に食されるようになり、現在ではわれわれ日本人にとって欠かせない食材となっています。
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